安全教育を実施しても現場の行動が変わらないのは、教育する側が知識の「インプット」で満足してしまい、行動への「転換」を促すプロセスが欠けているからです。本記事では、人を動かす極意である山本五十六の格言を用い、「わかっている」を「できる」へ変える実践的な指導法を解説します。
何をした人?:太平洋戦争の始まりとなった「真珠湾攻撃」を指揮した日本海軍のリーダとして有名な人です。
どんな人?:実は「アメリカと戦争をしても勝てない」と最後まで反対し続けた平和主義・現実主義者の一面もありました。
なぜ人気?:組織のリーダーとして、部下をやる気にさせる名言を多く残しており、現代の経営者や管理職からも「理想の上司」として尊敬されています
▼現場の安全について、参考記事をご紹介。以下も是非ご覧ください。▼
なぜ「安全知識」があるのに「不安全行動」が起きるのか
多くの現場では、定期的な安全教育や講習会が実施されています。作業員はそこで、墜落制止用器具の使用義務や、重機作業時の立ち入り禁止区域といった「ルール」を知識として学びます。しかし、現実に目を向けると、知識を持っているはずの熟練者や、講習を受けたばかりの若手が不安全行動に及んでしまうケースが後を絶ちません。
この背景には、人間が持つ「正常性バイアス」という心理的特性が深く関わっています。「自分だけは事故に遭わない」「これくらいなら大丈夫」という根拠のない自信が、学んだ知識を「他人事」として処理させてしまうのです。また、日々の作業に慣れることで、脳は効率を優先しようとします。その結果、安全手順を省略することが「慣れ」による手抜きではなく、「作業の効率化」であると誤認してしまう脳のメカニズムが働きます。
一方通行の知識を「言ってきかせて」いるだけでは、作業員の表面的な理解に留まり、現場での具体的な行動変容には至りません。教育の目的を「情報を伝えること」から「行動を習慣化させること」へと定義し、知識が行動に変わるための具体的なステップが必要なのです。
山本五十六の教えに学ぶ「人を動かす」安全指導の4ステップ
かつて、山本五十六は「やってみせ、言ってきかせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」という言葉を残しました。この格言は、現代の安全教育においても、極めて有効なフレームワークとなります。それぞれのステップを安全指導の現場に当てはめて考えてみましょう。
第一ステップ:やってみせ(範を示す)
まずは、指導者や職長・安全衛生責任者自らが、正しい安全作業の手本を見せることです。言葉だけで「ルールを守れ」と言うのではなく、リーダー自身が誰よりも真摯に安全規定を遵守する姿を見せることで、はじめて指示に説得力が生まれます。視覚的な情報は、言葉による説明よりも強く記憶に残り、正しい動作のイメージを定着させます。
第二ステップ:言ってきかせて(背景とリスクの納得)
なぜその手順が必要なのか、そのルールを無視したときにどのような具体的リスクが生じるのかを論理的に説明します。単なる命令ではなく、本人の命や家族の人生に直結する話として伝えることで、作業員の「納得感」を引き出します。人間は納得していないルールに対しては、監視の目がないところでショートカットしようとする習性があるからです。
第三ステップ:させてみせ(実践と確認)
説明した内容を、実際に本人に体感してもらいます。実技演習やロールプレイングがこれに該当します。ここで初めて「わかっているつもり」だった知識が、実際に「できる」かどうかを確認することができます。もし動作に誤りがあれば、その場で修正を行い、正しい感覚を身につけさせることが重要です。
第四ステップ:ほめてやらねば(承認による習慣化)
正しい安全行動をとっている姿を見かけた際に、行動を認めて声をかけることです。安全は「何も起きないこと」が成果であるため、正しく作業していても見過ごされがちです。しかし、正しい行動を「ほめる・認める」というフィードバックを行うことで、その行動がポジティブなものとして認識強化され、無意識でも実行できる「習慣」へと変わっていきます。
以上の4つのステップは、「見せる→納得させる→体験させる→認める」という一連の流れで構成されています。どれか一つが欠けても、知識は行動に変わりません。指導者が手本を示し、理由を丁寧に伝え、実際にやらせてみて、そして正しい行動をしっかり認める――この4ステップを愚直に繰り返すことが、安全行動を「習慣」として根づかせる最も確実な道筋です。
定着率を高めるための「参加型教育」と「日常の積み重ね」
山本五十六の言葉には続きがあります。「話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず」という一節です。これは、教育を受ける側を主体性を持った「当事者」として巻き込むことの重要性を説いています。
安全大会や定期講習といった大きなイベントだけでなく、日常のわずかな時間を使った教育の積み重ねが、最終的な安全文化を形作ります。以下のポイントを意識することで、教育の定着率はさらに向上します。
アウトプット型教育の導入
講師の話を静かに聞くスタイルではなく、グループでの危険予知活動(KY)や、事故事例に対する対策のディスカッションなど、受講者自身が発言し、考える時間を増やします。自分の口で説明し、他者の意見を聞くプロセスを経て、安全意識は初めて「自分事」になって行動する動機になります。
日常の「短時間教育」の活用
数時間に及ぶ重厚な講習も大切ですが、人間の記憶は時間とともに薄れます。朝礼やツールボックスミーティング(TBM)において、山本五十六の「言ってきかせて、させてみせ」のサイクルを、5分程度でも良いので毎日繰り返すことが効果的です。特定のポイントを一箇所ずつ、繰り返し刷り込むことで、現場での良い緊張感を維持することが可能です。
「任せる」ことによる責任感の醸成
特定の日の安全当番を任せたり、若手に手順書のチェックを担当させたりすることで、役割を与えます。人は教えられる立場よりも、教える立場や確認する立場に立ったときの方が、より深くルールを理解し、遵守しようとします。承認し、役割を任せることは、技術の伝承だけでなく、安全に対する正しい態度を育てることにも繋がります。
以上の三つのアプローチに共通するのは、「教わる側を受け身にしない」という姿勢です。指導者が一方的に教え込む構造から脱し、作業員一人ひとりが安全の主役として考え、動く現場をつくることが、真の安全文化の確立につながります。山本五十六の言葉が示すように、人を育てることは、教えることではなく、動かすことであり、任せることなのです。
監修者のまとめ
安全教育の実効性を左右するのは、「知識の量」ではなく「行動に変えるプロセス」だというのが、私が建築現場の管理に長年携わって得た確信です。
ある大規模な新築工事の現場でのことです。複数の専門工事会社が入り乱れる忙しい工程の中で、毎朝の全体朝礼でリーダーが安全唱和を行い、各社の職長も形式上はTBMを実施していました。
ところが、ある日足場の手すりの取り付け忘れによるヒヤリハットが発生し、原因を調べると「他社がやると思っていた」「自分の担当ではないと思っていた」という認識のずれが連鎖していたことが判明しました。
そこで私は、山本五十六の「させてみせ」のステップを徹底することにしました。各工区のリーダーに、毎朝の朝礼で実際に安全確認の手順を実演させ、若手にその場でやり返させる時間をわずか5分でも取るよう改めたのです。
さらに、正しい手順を実践しているところを見つけた際には、その場で名前を呼んで全員の前でほめることを徹底しました。 変化は約1カ月後に現れました。「自分がやらなくても誰かがやる」という他人任せの意識が薄れ、若手が自ら先輩に手順を確認しに来るようになったのです。
安全とは、掲示物や規程の数ではなく、現場の一人ひとりが「自分事」として動くかどうかで決まります。山本五十六の教えは、まさにそのための普遍的な指針だと、今も強くそう思っています。

【監修者プロフィール】
大阪府出身。京都大学大学院(建築学専攻)修了後、大手ゼネコンに入社。建築現場の施工管理から設備設計まで幅広く従事し、現場の最前線で実務を積む。その後、環境ISOの取得支援や環境技術の開発・マネジメントなど、組織の安全・環境管理における多角的な業務を歴任。現場のリアルと高度な専門知識を併せ持つ安全衛生のスペシャリスト。
【保有資格】
一級建築士、技術士(総合技術監理、建設環境)
